彼氏からの「可愛くないよね」について
Twitterを見ていると、「彼氏が私に可愛いと言ってくれない(要約)」という誰しも一度は経験してもやもやするなり泣くなりする問題が毎日起きている。
私も似たような経験がある。当時の彼氏からの
「あんまり可愛くないよね」
そしてその一言から、
「元カノは普通の顔だった」
と繋げられた時は本当に悲しかったし整形も考えた。別れて数年経った今となっては、言われたところで「じゃあ普通の顔の元カノと付き合ってれば良かったのに……あ、フラれたんでしたね(笑)」と鼻で笑ってしまうのだが。しかしなぜ私と付き合った?
そう言われて当時は悲しい思いをしたのだが、その時は「仕方ない、私が可愛くないから」と諦めて努力をした。
ありとあらゆることを言われたので、並べたてて同じ思いをした他人に勇気を与える立派な墓にしてやろうと思う。「可愛くない」「元カノは普通」「前の彼女は君島かれんに似てたけどお前は…(笑)」「痩せたらマシになるんじゃない?」「(可愛くないから)お前と一緒にいる時とか手を繋いでる時は人に見られたくない」どうだろう?ザッと思い出すだけでこれくらいは週二回レベルで言われていた。
お前、なぜ私と付き合った?
こんなボロクソに言える相手と普通は付き合わないであろう。精神と肉体が分離しているのではないかというレベルで考えと行動が違う。
私が悪いんだという1番いけない考え方にハマり、とにかく努力をし続けた。し続けながら、「彼は私にとって何なのだろう、彼にとって私とは」と考えながら腹筋やスクワット、腕立てにヨガやらウェイトトレーニングをメニューを変えながら毎日毎日していた。数ヶ月過ぎ、体が変化してきた。そして髪の毛が邪魔だったので3ミリで丸刈りにした。ひたすら筋トレを繰り返してタンパク質を摂取、砂糖無し炭水化物は朝のみという生活を続けた。
家族は急に髪を全て刈り落とし、メイクもせずひたすら体を鍛える娘を見て心配していた。
そして、ある日突然
「あいつ、なんなんだよ」
と思った。クソ野郎じゃねえか。顔だけじゃねえか。顔が少々良いからちょっとマシに見えてしまうだけで、大したことはないのだ。器も小さい。大してセックスもうまくない。頭は良いかもしれないが、だからどうしたというのか。今更、頭脳が何のアドバンテージになるというのか。
2年間付き合ったが、好きでなくなった瞬間はあっけなかった。あれ、好きだったはずなんだけどな。
結婚してあげてもいいよ、とも言われていたが、「あげてもいいよってなんだよ。してくださいだろうが。舐めてんのか?」ヤンキー根性爆発でそう言った。彼は黙った。そりゃそうだ。前回、同じことを言った時は「本当に?」とか喜んでた女に「冗談だよ」とかふざけたこと抜かしてニヤニヤしていたのだから。
出会った時からちょっと前までの大人しくて従順で何を言っても怒らなかったあのボブカットの後輩女子はすでにいないのである。いるのは腹筋を4つに割った坊主頭のヤンキー女である。
学習しないのだろうか?以前と同じように可愛くないとかなんだとか抜かすので、
「お前、ブン殴られてぇのか?(原文ママ)」
とか、そういう見た目に関する面白くない冗談を言いかけた時に「テメェ、理解して言ってんのか?(原文ママ)」と言っていた。
本気で殴られると思ったのか、段々と何も言わなくなっていく。私はめんどくせえ奴、言い返されたら何も言えねぇのかよチンケな野郎だなァ、とか思って幻滅していたので自分から連絡をしない。
そして会わない間は別の男と遊びまくり、電話も無視である。可愛いとか言わない彼氏より気の合う男である。
クリスマスイブも別の男と過ごしたうえ、その人と付き合う話がまとまったので、
「無理だわ、別れよう」(原文ママ)
と新しい彼氏と泊まりに行った先で告げた。電話する時間も嫌だったので、LINEで終了である。しかも何と返ってきたのか全く覚えていない。(クズ)
新しい彼氏も3か月ほどするとよく分からない要求をしてきて非常に面倒くさい男になった。こちらは時間を無駄にしている暇はないのである。そこで、面白そうな男と青森に行くことにした。(下衆)
そしてすったもんだを繰り返し、さんざっぱら浮気をし、泥酔と気絶を繰り返し、最終的には青森に行った男と現在付き合っている。
今、付き合っている彼は私に「可愛くない」と言ったことが一度もない。「可愛い」「綺麗」「素晴らしい」とは言われる。
「日本中の綺麗な場所に連れて行く」と言われたが、それだって本当だった。私は運転できないので助手席にいるだけだが秋田まで連れて行ってくれた。私に面倒くさいことは要求せず、適度に褒めてくれ、2人で色々なところへ旅行に行く。タバコを吸おうが酒を飲もうが小言を言われない。2人で蕎麦屋に行き、ピースを吸いながら日本酒と蕎麦と漬物で過ごす夕方もある。京都の喫茶店で朝ごはんのパンケーキを食べながらお土産の算段をすることもある。2人で海や山に行ってみたり、アフタヌーンティーに行くこともある。
色々と道を間違えてとんでもなく荒らし回ったりしてしまったが(彼は全て知っている)、今はとても幸せである。自分の自己肯定感を潰してくるような恋人なんぞ捨てて構わないと思う。その時はたまに後悔するかもしれないが、数年経てばこんな笑い話になる。この人以外考えられない!とか、私なんか好きになってくれるなんて……という思い込みはそいつと一緒にさっさと捨ててしまえばいい。そいつ以外に好きになってくれる人はいくらでもいる。
可愛いと言わない男にわざわざ言わせるより、最初からそう言う男と一緒にいた方が幸せである。
男も女も掃いて捨てるほどいる。自分が好みのタイプの好みのタイプになるより、自分のことが好みな異性の中で自分の好みの人を探した方が堅実で無理がない。
自分を相手好みに作り変えると、気にいられようとしているからか基本的に下に見られてたとえ叶っても苦労をする場合が多い。好きだから、頼むから付き合ってくれと言ったりそう見せた方が弱くなるのは当たり前である。
それに、ちょっとくらいなら騙しても構わない。「まあ、この女に騙されてやろう……たんとお騙し」とちょっと良い関係になってきたあたりで男は思うのだ。(痴人の愛より)
世の中の今時の男女はやれフェミニズムだミソジニーだインセルだとか女がどうした男がなんだとか言っているが、結局は男女間の争いと恋愛はなんでもありである。どれだけ自分にある武器を使えるかが勝敗の決め手である。
その議論が悪いことだとは思わない。世の中はそうして良くなっていくのだろうから。ただ、綺麗事を言ったところで一皮剥けば人間なんてそんなもんではないかと思うだけだ。
だから、綺麗事通りに順当に……と思うと挫折してわざわざ傷つく道を選ぶ羽目になる。自分は女で、好きなのは男であればどんな手を使おうが自分が思うような幸せに近づけば良い。(ただ、ここで相手が既婚者はルール違反である。彼女持ちは反則ギリギリ、殺られても文句なしである)
意地汚いとかあばずれだとかビッチとか同じ女から言われようが、自分が一番可愛いのだから気にしてはいけない。そう言う正義を振り回す者こそを蹴落として踏み台にして勝たなくてはならない。
一種の生き物として、恋愛の場での同性の馴れ合いや仲良しこよしほど邪魔なものはない。足を引っ張られて気づいたら取り残されるだけである。遺伝子を持つ生き物としてこれほどの敗北はない。
私はそう思って生きてきた結果、友達が数人しかいない。
それでいい。それは人としてどうかと思う、なんて理想論をぶつけてくるような人とは友達になれない。人間は人間である前に動物である。個人的な体験を言わせてもらうと、理想論をぶつけてくる者に限って当たり前のように寝取る。だったら最初から堂々と「私は手段として寝取る。」と宣言した方が良い。その方がよっぽど誠実である。自分がしれっとそれをやられて実に不快な気分になったので、私は堂々と宣言することにしている。
万人ウケは無理だが、万人に対して正直であることはできる。どちらにせよ恨みを買うことになるのであれば、表に出て分かりやすく恨みを買うことはできる。女は男の恨みがかかればかかるほど美しく見える。(谷崎潤一郎)
女の恨みで綺麗になれるかは知らないが、恨みを買わなければならなくなったら堂々と買えばいい。それで平気な顔をして歩けばいい。
ここまで書いて思うが、こんな女を好きになって一年以上も一緒にいられる彼氏はだいぶおかしい。この考えをしたやつが恋人だったら普通は逃げ出すと思う。全て知っているのにそばにいてくれるので、今までよりずっと大切にしようと思った。